Memoirs of A Geisha(邦題「さゆり」)

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  辛辣な前評判だった「さゆり」をやっと見ることができた。確かに、ちょっと京都の舞妓さんの話をみているっていう感覚は、役者のオーラが何だか日本人と違う、という感覚と全編英語ということもあって少し薄くなったけど、映画としては楽しめるものだった。
  新聞のレビューで多いのが「本物」らしさがない、ということ。(日本人でもないのに、なんだか口うるさいなあ、と思いつつ)元々のお話はいくらMineko Iwashitaの半生に影響されたといっても、小説は小説。作り上げられたお話だけど、楽しめるものだった。Goldenの着物や、小道具に対するとても細かい説明のおかげで、読者がふと「作られた話」というのを忘れて現実と混乱してしまい、よって映画も元は作られた話であることを忘れてしまったからかもしれない。まるで、「シンデレラ」の映画をみて、「1700年代のフランスを表していない!」とか、「オースティンパワーズ」をみて、「60年代を忠実に表していない!」とか(すこし極端だけど)言っているのとかわらない気がする。(オペラの「トゥーランドット」とかどうなるの?作曲者のプッチーニは「東洋」にいったこともなかったとか。)今の京都の先斗町とかでは、雰囲気が違いすぎてとても撮影できないだろうし、サクラメントに昔の先斗町を再現してまで撮ったそうだ。なんとなく私が思い描いていた昔の京都と雰囲気となんとなく重なった。
  豆葉を演じたミシェル・ヨーのインタビューをみたけど、映画のために、歩き方、立ち振る舞い、踊り、三味線、など本物の舞妓さんさながらの訓練をうけたらしい。パレエをやったことはあっても日本舞踊などはもちろんしたことがなかった。さすが女優魂だとおもう。Pumpkinを演じた工藤夕貴ははまり役だったとおもうし、特に後半の豹変っぷりは笑わせてくれた。(戦後アメリカの軍の人がお茶屋さんでわいわいするところを含めて。)主役のチャン・ツィイーはきれいだったし、いじめ役のコン・リーはとっても怖かった(笑)。子供時代のさゆりを演じきった大後寿々花は本当によく耐えたなあとおもうし、渡辺謙もよかった。でも、映画を見終わって一周間たった今でも一番印象に残っているのは役所広司と桃井かおりだった。役所広司の抑えた、でも抑えきれないさゆりへの情熱はスクリーンを通して本当に伝わってきた。「どうしてなんだ?」という気持ちが台詞では言われていなくても、伝わってきて、心がいたくなった。桃井かおりは、まさに小説の中で私が思い描いた「お母さん」そのものだった。(私の知ってる置屋の「お母さん」よりちょっと怖そうだったけど)計算上手で、とりあえずお金、お金、の人だけど、どこかにさゆりに大して本物の家族のようなの愛情がある、そんな「お母さん」だった。
  時間制限付きの映画ということもあって、小説の中でいくつか大切だとおもっていたシーンがカットされていたことと、エンディングへの運びが気になった。それ以外は確かに髪型も踊りもなんかちょっと違う、っていう感覚はあるけど、映画としてはいいと思うし、あれが違う、これが違うと「ウオーリーを探せ」みたいに目くじらたてて、あらさがしをするのではなくて、純粋に映画を楽しめばいいと思う。

こんなん京都ちゃうとか、そないいけずなことゆわんと、楽しまはったらええのに。(なんや活字にしたらけったいやなあ(笑))

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ちなみにこの写真、日本の「さゆり」のサイトで見つけたのですが、他の写真が映画の中の画像だったこともあって、「え?誰このにやにやしたやたら近代的な人・・・」と普通に考えてしまって、後でうけてしまった。もちろん、彼はカリフォルニアのサクラメントにいた映りたがりのアメリカ人ではなく、ロブ ・マーシャル、監督です。

本物さといえば、この映画の上映前に「マリーアントワネット」(舞台は1700年代のフランス)と「カサノヴァ」(舞台は中世のイタリア)のトレーラーがあった。これも「本物らしさ」がない!とたたかれるのかな。
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by bluebirdweather | 2005-12-27 16:45 | 今日もばら色(・・・かも)  

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